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「人生の一番辛い修業とは「禁煙」になる」…伊奈利

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月10日(日)11時14分54秒
  ★…禁煙中…昨日(9月7日)の午後3時から禁煙の行に入りました。理由は健康もあるが、やはり経済的なことになります。人は電気代、ガス代、水道代のみでは生きては行けない。スマホやPCの通信費が高くて。今回の禁煙への挑戦は10回ほどになるが…スマホとPCと煙草とどちらかを止めなければ家賃も払えません。

★…禁煙3日目の朝…まだ喫いたい喫いたい気分は消えないが、そんなに苦しくはない。今までの禁煙の経験では3日目ぐらいから微熱がでてしんどくなる、そして睡魔に襲われてなんぼでも寝られるようになる。これは何もする気が起こらないから結果的には寝るしかないからだ。まだこれを書く気力はある。

★…禁煙4日目の朝…時々「イライラ」が団体で頭の中を通過する。その頭で「ガマン」と言い聞かす。頭が二つある二重人格のようでどちらも私の建前と本音になる。どちらが正しいといえばそら~「禁煙」になるが、だからこんなアホなことをしている。「人生の一番辛い修業とは「禁煙」になる」…伊奈利

★…これらは、音川伊奈利 @aG506vk8fvwLRYP ツィッターに投稿した物です。

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 
 

屁理屈コラム…男の安くて不味い料理・御池の君・日本初の御池奉行所、祈祷師の登録学校制度・強い者には規制強化、弱い者には規

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 7日(木)16時28分32秒
  屁理屈コラム…男の安くて不味い料理・御池の君・日本初の御池奉行所、祈祷師の登録学校制度・強い者には規制強化、弱い者には規制緩和の桓武天皇の政策

★…お知らせ…パソコンがつぶれそう

パソコンの調子が悪くて危険水位に達しています。スマホもあるがスマホではこんな長い文章は書けません。そこで急にこのブログの更新ができなくなっても心配しないでください。

また私への連絡は「音川伊奈利の掲示板」にお書きください。
★…

★…男の安くて不味い料理・若鶏モモ肉のたいたん、イオンのお惣菜

ブラジル産の若鶏モモ肉100g48円というのがあった。それの約90円分を買って麺つゆで炊いてみた。ただこれだけでは野菜系がないのでイオンに買いに走ったが、どれも高くて、それに料理する気分にもなれなくてめったに買わないお惣菜を吟味した。

この御惣菜のセルフサービスというのがあって100g175円(税抜き)ほどで好きなものを買える。しかし、この100gというのはどれほどかの量とは判断をしかねて他の人の買い物を盗み見していた。あるご婦人はそんなに大きな容器でもないが、総菜を詰め込んで計りにかけるとその金額は450円にもなった。

これは軽い総菜にも必ず重いゆで卵とか芋類が入っているから重くなる仕組みになっているようだ。酢豚なんかはそもそも食材がすべて重い上、タレもとろみがついて重くなる。なんてことを考えてこの量り売りの総菜はやめた。

そこで金額がハッキリしているパックの総菜を探した。このパック総菜の中でも好きなのは「ポテトサラダ」だが、これは「0157」の影響か?、それとも売れ切れなのはわからないがなかった。そこで見つけたのがブロッコリーやニンジンが入っている213円(税込み)の総菜、これなら野菜ばかりだと思って買ったが、そして家で食べたらそれは「ミニハンバーグ」だった。私はそもそもこのハンバーグは嫌いなのに…もちろんこれはどこかにハンバーグとは書いてあっただろうが老眼の私には読めなかった。

★…やはり料理はめんどうでも家で作るに限るというお話しでした。画像はその「若鶏モモ肉のたいたん」と「ミニハンバーグ」になるが、この日のディナーは不完全燃焼でした。

★…御池の君・日本初の御池奉行所、祈祷師の登録学校制度・強い者には規制強化、弱い者には規制緩和の桓武天皇の政策 伏見稲荷大社の物語32話より

平安京の10周年記念の804年の都は好景気と豊作に沸いていた。公家は公家らしく、貴族は貴族らしい遊びを考えて連日連夜の歌会や宴会、それに恋や愛に狂っている平和な日本であった。桓武天皇は都のど真ん中にある湧き水が豊富な神泉苑に離宮を造り昼も夜もこの離宮で過ごしていた。この池は大極殿から徒歩15分、池の周囲は1500mと広くここの島に龍神さまを祀っていた。

そしていつのまにかこの池のことを「御池」と呼ぶようになっていた。たとえば天皇は「御池」におられますというようになり天皇に面会を求めることを「御池詣」とした。また隠語でも天皇のことを「御池」となりこれは庶民にまで広がっていた。庶民の暮らしが良くなってくるとこれまた色々な悩みや相談事ができてくる。これらの相談に気軽に応じていたのが地域の神社の宮司や神官になる。このころ稲荷神社二代目の生成(いなり)も天皇からも国の祈祷者と呼ばれていた。

そして祈祷や呪い、占いを専門にする者もでてきた。人々の悩みは今とそう変わらず女性なら不妊、病気、恋や愛などの恋愛、夫の浮気、夫の暴力、子育て、男性なら仕事や出世の悩みなどでいずれも長屋、神社の片隅の小屋で商売をしていた。その中でも「よく当たるという評判」になれば行列ができる祈祷師もいたという。もちろん悪質な祈祷師もいて不妊に悩む女子に悪戯をしたという訴えもこの御池にあった。

桓武天皇はその祈祷師の生成をこの神泉苑離宮に呼んでいた。そして、
「祈祷師の生成の前でいうのはなんだが、祈祷師というのは信用ができるのか?」
「ささ~それは~ただよく当たるというのはかなり科学に基づいたもので、それを演出で祈祷のように見せかけていることが多いです」
「そか、それなら予の命は後何年じゃ~?科学的に答えよ!」
「はい、激務の上、夜は運動もしないで酒ばっかし飲んでいますから…それに顔色も悪いし長くても2年ぐらいかと思います」

これはもちろん天皇と生成の酒の席のいつもの冗談だったが、これをたまたま聞いていた官女の一人が絶対いわないでと口止めをした上で吹聴したものだからこの天皇死亡2年説が都に広がるのには3日もかからなかった。しかし、桓武天皇の死去の後の第51代天皇は皇子に決定しているからなんら政情に変化はなかった。

だが、こうして祈祷師を天皇も信用されているのだからと悩める人々は祈祷師に殺到していた。そこで天皇は神泉苑の一角、西側にこれらの庶民が悪質な祈祷師に騙されたりすれば訴える「御池奉行所」を造っていた。これが日本で最初の奉行所になるが、この場所は江戸時代が終わるまでここに「東町、西町奉行所」があったことからしても1200年の歴史があることになる。やがて人々は悪いことをしたら「御池にいうで~」になったが、これは天皇もしくわ奉行所に訴えるという意味になる。

そしてこの祈祷師(加持祈祷師、呪い師、占い師、おがみ屋等)は政府の登録制として制度化した。そしてその祈祷師の学校も国立京都大学内に造られた。これは名目は祈祷師だが内容は気象学、自然科学、薬学(漢方)、医学の専門分野を3年で教わるというものだ。それにこの学校を卒業しなければ神官の免許をもらえないために村の鎮守の小さな神社の宮司もここで勉強しなければならなかった。そしてこの免許がない祈祷師はニセ祈祷師として奉行所に逮捕されるという政策も桓武天皇は作っていた。いわば強い者には規制強化、弱い者には規制緩和とメリハリをつけているのが桓武天皇の政策だった。

★…そして1200年後の今日も「御池詣」はある。が、これは神泉苑ではなく寺町御池にある京都市役所のことになる。悪質な業者が御池の君(市長)や市議、役人に取り入ろうと「御池詣」に力を入れるという意味に使われている。また京都市長選挙の時などは市の職員労組を「御池選対」と呼ぶ場合もある。いずれにしても平安時代の「御池にいうで~」は庶民の味方だったが、今日の「御池」とは庶民の味方とはとてもいいがたい。
?
★…神泉苑は周囲1500mと大きい池だったが、この池にスッポリ入る二条城ができて池は今のようにこじんまりしている。ここに二条城ができた理由としてこの池は湧き水が豊富なために掘りの水の確保ができたという。このコラムでは掘りの西側に「御池奉行所」があったとされるか、江戸時代にもこの同じ場所に「西町奉行所」があった。明治43年この場所に日本最初の映画の撮影所「二条城撮影所」ができて日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影したとされる。その後、市立中京中学になった。

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

★…お知らせ…パソコンがつぶれそう

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 7日(木)11時11分29秒
  ★…お知らせ…パソコンがつぶれそう

パソコンの調子が悪くて危険水位に達しています。スマホもあるがスマホではこんな長い文章は書けません。そこで急にこのブログの更新ができなくなっても心配しないでください。

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屁理屈コラム…男の安くて不味い料理・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 7日(木)09時33分20秒
  屁理屈コラム…男の安くて不味い料理・

★…男の安くて不味い料理・若鶏モモ肉のたいたん、イオンのお惣菜

ブラジル産の若鶏モモ肉100g48円というのがあった。それの約90円分を買って麺つゆで炊いてみた。ただこれだけでは野菜系がないのでイオンに買いに走ったが、どれも高くて、それに料理する気分にもなれなくてめったに買わないお惣菜を吟味した。

この御惣菜のセルフサービスというのがあって100g175円(税抜き)ほどで好きなものを買える。しかし、この100gというのはどれほどかの量とは判断をしかねて他の人の買い物を盗み見していた。あるご婦人はそんなに大きな容器でもないが、総菜を詰め込んで計りにかけるとその金額は450円にもなった。

これは軽い総菜にも必ず重いゆで卵とか芋類が入っているから重くなる仕組みになっているようだ。酢豚なんかはそもそも食材がすべて重い上、タレもとろみがついて重くなる。なんてことを考えてこの量り売りの総菜はやめた。

そこで金額がハッキリしているパックの総菜を探した。このパック総菜の中でも好きなのは「ポテトサラダ」だが、これは「0157」の影響か?、それとも売れ切れなのはわからないがなかった。そこで見つけたのがブロッコリーやニンジンが入っている213円(税込み)の総菜、これなら野菜ばかりだと思って買ったが、そして家で食べたらそれは「ミニハンバーグ」だった。私はそもそもこのハンバーグは嫌いなのに…もちろんこれはどこかにハンバーグとは書いてあっただろうが老眼の私には読めなかった。

★…やはり料理はめんどうでも家で作るに限るというお話しでした。画像はその「若鶏モモ肉のたいたん」と「ミニハンバーグ」になるが、この日のディナーは不完全燃焼でした。

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頭大盛牛めし・日本初の相撲は松尾神社、向日神社が発祥の地となる。相撲が日本の国技に!・貴族女性に大人気・相撲茶屋「とり米

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 5日(火)09時15分27秒
  屁理屈コラム…頭大盛牛めし・日本初の相撲は松尾神社、向日神社が発祥の地となる。相撲が日本の国技に!・貴族女性に大人気・相撲茶屋「とり米」

★…頭大盛牛めし 350円・マルバルコウソウ・いちじく、夏みかん

ここ数か月はランチとディナーは完全自炊をしていた。その間、ほとんどがワンパタンメニューでいい加減に飽きてきた。この前外食をしたのは昨年の年末で「ラーメン横綱」のラーメンだったことを鮮明に覚えている。この時もその前半年ほど外食をしていないので嬉しかったのだ…

そして今回は牛肉に挑戦した、この牛肉も2年振りになる。普段肉といえば鶏肉の特売100g48円、それに豚肉も米国産で100g98円。牛といえば牛丼になるがその中でも一番安い「松屋」になる。

その松屋に自転車で向かう途中にオレンジの綺麗な花を見つけた。これはここに5年ほど前から自生しているのを知っている。名前を調べたら「マルバルコウソウ」(ヒルガオ科サツマイモ属)といい、去年はこの種を持ち帰ったが発芽しなかった。今年も種を採取して来年に咲かせる決心をした。

そして次に見つけたのは農家の畑で「いちじく」と「夏みかん」だが、これも数年前に発見している。この「いちじく」というのは独特の匂いで遠い昔の子供の時に食べた時の匂いが蘇ってくる。そして夏みかんだが、これは見ているだけで口の中が酸っぱくなっている。これらを写真を撮りながらの松屋へのお買い物も小一時間のみちくさでお腹はペコペコ、そして注文したのは60円も高い「頭大盛牛めし」になった。

★…こんなつまらない記事を読んでいただきありがとうございます。さらに厚かましく画像4枚を掲載しています。上から松屋の牛めし、マルバルコウソウ、いちじく、夏みかん

★…日本初の相撲は松尾神社、向日神社が発祥の地となる。相撲が日本の国技に!・貴族女性に大人気・相撲茶屋「とり米」 伏見稲荷大社の物語44より

平安京遷都12年目の都の朱雀大路から東の左京はほぼ公家や貴族の屋敷と民家で埋まっていた。あれだけ人気のなかった朱雀大路から西の右京も四条大路から北の地域には鍛冶屋、大工、それに染物屋、造酒屋という工場や倉庫が必要な商売人が移住してきた。そしてその工場で働く人々の長屋ができていた。

こうして都に人が集まれば集まるほど都の経済は豊かになりこの恩恵はこのような田舎からでてきた庶民まで届き桓武天皇の人気は益々上がっていた。また都に近い農民も米の消費量があがって米や野菜も高く売れるということで農家の家も掘っ立て小屋からそれなりの家構えになってきた。

そして農民も娯楽を楽しむようになってきたが、これの一番人気は村対抗の力自慢で最初の頃は俵一俵を持ち上げてどちらが長く持ち上げているかの競争だった。これからさらに進化して土俵の上での相撲になる。この相撲の土俵が最初にできたのが東の松尾神社になるが、さらにこれに対抗して西の向日神社にも土俵ができた。この松尾神社、向日神社の氏子というのは桂川から水を引いた水田を持ち山城の国はもちろん近畿の水田のトップをいく収穫高の多い農村地帯で生活にかなり余裕ができきていた。

向日神社の横綱は「山響」という久世村の力士で松尾神社の横綱は「嵐山」という西七条村の力士の二人になる。この両横綱の優勝決定戦が桓武天皇も観戦する天覧試合が3月に松尾神社で開催されていた。これには天皇はともかく公家も高級貴族も百姓も町民も分け隔てなく同じ観客席で観戦するしかなかった。なぜなら、この大相撲の主催は農民の実行委員会であるからどんな高級な公家でも同じ扱いだった。さすがに裸に近い男の相撲には貴族の女性らは観戦していなかったが、天皇にお供した官女、従女らがこの相撲の様子を宮中で流布したものだから貴族の女性らは弱くて青白いナヨナヨした男しか知らなかった世界だけにこの力士の力強さに夢憧れたのは当然になる。

天覧試合での優勝者は「山響」となり桓武天皇は土俵の上で賜杯を山響に手渡していた。そして山響に従七位の位を与える、そしてこの相撲を我が国の国技とすると宣言されました。こうなると政府からも援助があり、東に松尾部屋、西に向日部屋という相撲部屋が設立されていた。それぞれの神社の一角に相撲部屋があり力士は半農半力士としていたが、政府の年50日の労役は免除されて相撲の稽古を続けていた。

こうなると東西の力士のプロフイールが書かれた写本まで販売されていた。また有力貴族の間では屋敷に土俵を作り有力力士を招待して屋敷巡業の興業までしていた。そこには高級貴族も招待されていたが、相撲については女性の方に人気があった。しかし、その観客の女性の品定めをするために相撲観戦をする男の貴族も多かった。今でいえば合同コンパの役割もしていたことになる。

こうして村相撲から国技となったお披露目として桓武天皇も参加した宮中で東西の両横綱と三役ら20人の宮中相撲が開催されていた。取り組み表は事前に発表されて貴族の妻や官女、従女らは土俵下に陣取りトーナメントの相撲を満悦していた。さすがに貴族の女性は黄色い声を張り上げての声援はしなかったが、力士の力強い腕、胸、褌の尻にはかなり興奮をしていた。

優勝したのはやはり西の横綱「山響」でその取組後に正一位の藤原吉兼の妻で従二位の中宮百合子さまから和歌がを書いた一通の文を受け取っていたが、なにせ従七位といってもつい最近までは農民で和歌の意味どころか字もまともに読めなかった。その相撲後の宴会で横に座っていた稲荷神社二代目宮司の生成(いなり)に山響は内緒でこの和歌を手渡して翻訳してほしいと頼んでいた。生成はこれを読んで、
「横綱、これはそなたのことが好きで、今夜の月を一緒に見たいといっている」
「ほう、今夜といってもこの通り曇っている、だからそれは無理というものです」
「いゃいゃ、これは困った。…つまり、横綱と今夜一緒にすごしたいといっている」
「ほう、いや~もうこの通り酒は腹いっぱいで~」
「よ、横綱、横綱は何歳じゃ…それに嫁は?」
「はい、私は19歳で嫁などまだ…」
「そか、それなら夜這いの経験は?」
「そんなもの…相撲一筋で~」
「そうか~たしか~吉兼の妻は初物食いが趣味で…若い貴族の多くが犠牲になったということが女流貴族の写本に書いてあった」

生成はこの話を聞いてかなり悩んでいた。この世界は階級社会で正一位の妻で従二位の貴族に誘われて従七位の横綱が無下に断るということは失礼の極みになるからだ。生成はこんな下世話など趣味ではなかったが、横綱を吉兼の妻の屋敷まで連れて行きその門の脇の小門から入り庭に面した寝所へと案内した。部屋ではほんのり明かりがついているからこの部屋には間違いがない。生成は横綱に、
「ほい、あの障子を開ければいいだけよ~ほな、ワシは帰るで」
「生成さま、ワシは…ご遠慮しますので…生成さまよかったらどうぞ…」
「おぃおぃ、ワシはあいにく厚化粧には弱い…」

このことはそのあくる日には宮中の女どもに知れ渡っていた。それは国技でもありその横綱と恋に堕ちたという貴族社会の女性の独特の自慢でもあった。それから貴族の妻や娘どもは私も百合子さまのように自慢したいと松尾神社にある相撲部屋の稽古の見学に押し寄せるのは当然になる。そしてその貴族の見学者の休憩所として門前の鳥居の横に料理旅館の「とり米」ができて昼も夜も繁盛したという下世話なお話しでした。

★…は松尾大社の相撲場

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

頭大盛牛めし、マルバルコンソウ・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 5日(火)07時05分51秒
  屁理屈コラム…頭大盛牛めし、マルバルコンソウ・

★…頭大盛牛めし 350円・マルバルコウソウ・いちじく、夏みかん

ここ数か月はランチとディナーは完全自炊をしていた。その間、ほとんどがワンパタンメニューでいい加減に飽きてきた。この前外食をしたのは昨年の年末で「ラーメン横綱」のラーメンだったことを鮮明に覚えている。この時もその前半年ほど外食をしていないので嬉しかったのだ…

そして今回は牛肉に挑戦した、この牛肉も2年振りになる。普段肉といえば鶏肉の特売100g48円、それに豚肉も米国産で100g98円。牛といえば牛丼になるがその中でも一番安い「松屋」になる。

その松屋に自転車で向かう途中にオレンジの綺麗な花を見つけた。これはここに5年ほど前から自生しているのを知っている。名前を調べたら「マルバルコウソウ」(ヒルガオ科サツマイモ属)といい、去年はこの種を持ち帰ったが発芽しなかった。今年も種を採取して来年に咲かせる決心をした。

そして次に見つけたのは農家の畑で「いちじく」と「夏みかん」だが、これも数年前に発見している。この「いちじく」というのは独特の匂いで遠い昔の子供の時に食べた時の匂いが蘇ってくる。そして夏みかんだが、これは見ているだけで口の中が酸っぱくなっている。これらを写真を撮りながらの松屋へのお買い物も小一時間もかかりお腹はペコペコ、そして注文したのは60円も高い「頭大盛牛めし」になった。

★…こんなつまらない記事を読んでいただきありがとうございます。さらに厚かましく画像4枚を掲載しています。上から松屋の牛めし、マルバルコウソウ、いちじく、夏みかん

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特売の卵98円…LLサイズ争奪戦・一つ積んでは母のため…賽の河原の物語…西院の河原…京の都の左京は発展して右京が衰退した

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 4日(月)05時16分45秒
  屁理屈コラム…特売の卵98円…LLサイズ争奪戦・一つ積んでは母のため…賽の河原の物語…西院の河原…京の都の左京は発展して右京が衰退したもう一つの理由

★…特売の卵98円…LLサイズ争奪戦に勝利

あるスーパーでは週に1~2回ほど卵98円の特売がある。数量こそ1500パックと多いが、これのサイズが朝一番はLLサイズでそれから順番に小さくL、M、MS、Sとなっている。仮にSでも98円なら安いが同じならLLをゲットしたいのがこれまた人情になる。

ちなみに卵のサイズは、
LL…70g以上
L …64g以上
M …58g以上
MS…52g以上
S …46g以上

これがそれぞれ10個パックだから、LLは700g以上、Sなら460g以上でこの差は240g以上にもなる。この240gというのはMなら4個分になり、実質4個儲かることになる。このLLサイズの卵は私の勘では約100パックほどしかない、次のLも100パックほど、したがって超モーニングサービスの卵は200パックほどと理解しているが、これは卵の生産にもよると思う。

こんなケチケチしたブログを書いてはいるがこの日本でも卵一つ買えない時代もあった。「巨人、大鵬、たまご焼き」といわれるように卵は日本人にはかかせないもの。しかも、これらの鶏の餌はすべて輸入だという。ちなみになぜ卵のサイズがバラバラだという理由は、これは若い鶏は卵を産む産道?が小さいからSサイズになるが、それが回数を重ねると穴が緩々、ガバガバになりLやLL、それにそれ以上の卵を産むそうだ…LLサイズか~なんとなしに考えさせられる…本日のコラム

★…画像はそのLLの卵

★…一つ積んでは母のため…賽の河原の物語…西院の河原…京の都の左京は発展して右京が衰退したもう一つの理由 19話

平安京遷都の2年前から洛中への移転希望者の募集が始まっていた。羅城門から大内裏までは南北の幅80mのメイン通りの朱雀大路がある。この羅城門から北へ向かって右側(東)が左京、左側(西)が右京となっていた。当然ながら朱雀大路に面した一等地は希望が多くて豪商や貴族が門を構えていた。そして左京の朱雀大路から鴨川の間の住宅地も人気があったが、右京の方はまったく人気がなく整備された土地も荒れてきた。

1200年後の現在でいう右京とは南は九条通りから北は一条通りの5,2キロになる、東は朱雀大路から西の葛野大路の2,2キロになる。この右京と左京はまったく同じ面積であるが、この右京には歴史的な大寺院は一つもないことがわかる。強いていえば江戸時代の壬生寺ぐらいであるがこれは朱雀大路に面している。一方の左京の方は京都市内の有名寺院とその塔頭で石を投げれば必ずお寺に当たるともいわれている。

桓武天皇は此の地はまったくの新天地であり、右京、左京との差がないのに商人も職人、工人も右京を嫌う意味が分からなかった。そこで桓武天皇は稲荷神社の二代目宮司の荷田生成にこの原因を調査せよと命じていた。生成は馬に乗ってお供2名を連れて稲荷神社から建設中の羅城門から朱雀大路を北へ、この平安京の南北の中心となる四条通りの北東角にはもう官営の年貢を納める役所が営業していた。この時期には長岡京かこの造成中の都か近いほうに年貢を納める制度になっていた。

この朱雀大路と四条の交差点から西へと馬を走らせている。この四条通りもここからが道路の幅という杭は打ってあるものの道路というほど土は踏み固められていなかった。やがて西大路に入るがこの辺りから大きな石や砂利ばかりの河原になる。鴨川が現代のように東山に沿って南へ直線に流れを人口的に変える前は都の中心の北東から南西に斜めに鴨川があった為でこの辺りが本流の深みであったことからここに山の砂利が流れ付き堆積したものであった。この河原は幅100m長さ500mほどでやはり斜めになっている。

さらに10分ほど馬を走らすと都の西の端の葛野大路になる。ここも境界の印として杭があるだけで整備はなにもされていなかった。そこからさらに西には紙屋川(天神川)の橋があり、それを超えると西の洛外で梅津村に入る。この梅津村は1400年前に帰化人の秦一族が嵯峨嵐山に住みついた後に開発された村で秦一族の守り神松尾神社の氏子になっていた。その先の桂川を超えたところに松尾神社がある。

生成は松尾神社の宮司秦信麿に挨拶をした後に、
「桓武天皇の命により都の右京があまりに人気がないので調べろと言われて来た」というと信麿は、
「それね~あの賽(西院、さい)の河原に毎夜、妖怪というのか?奇妙な化け物がでるというので…」
「それは、噂か?」
「いや、それは噂ではなくてこの松尾村や梅津村の農民が何回も見ている。それにワシも牛ほどある奇妙な動物に追いかけられたことがある」
「ほう、その賽の河原とは?」
「これは宗教でもないなんかの呪いで、早くして死んだ子供や子供を亡くした母親、またその反対に早くして母親を亡くした子供が亡くなった母を供養するために河原の石を積み上げて供養塔にして拝むというものだが、その供養塔ができる寸前に鬼が来てその供養塔をつぶすというものだ」
「それで河原のあちこちに石の塔があったのか?、しかし、それならその化け物は?」
「ささ、それが鬼となっている。しかもあの賽の河原は右京の中心地ということから右京には鬼が棲んでいるという噂が広まり…」

この話を聞いて帰る途中にお供で神職に化けていた狐二匹が、
「生成さま、その鬼の正体を探ります」
そして、その2匹の狐は賽の河原でお供を離れた。

3日後にこの狐は報告に来ている、狐は、
「生成さま、あの化け物の正体は狸でした。その狸は春日の森に長年棲んでいました。ところが付近の沼や雑木林が刈り取られて餌がなくなり、そこであの賽の河原の石を取り除けばその下にはまだ水があり、そこには狸の大好物のエビやカニ、それに貝のしじみ、タニシ、からす貝などがいてそれを食べていたそうです。その取り除いた石があの供養塔になったのです」
「ほう、なるほど…それであの妖怪とか化け物は?」
「それは、人間が夜に近づいてくると脅かしのために化けていたのです」

早速、生成は春日の森の狸の親分に狐を通じてアポを取っていた。その狸の親分とは豆吉という可愛い名前だが、名前に似合わず獰猛な顔をしていた。生成は、
「都の造成で豆吉さんらには大変ご迷惑をかけている」というと豆吉もこの人間は獣の気持ちがわかると気を許していた、そして、
「いゃいゃ、これも時代の流れです…」
「そか、狐に聞けばあの賽の河原の石の下の生き物も減っていると聞く、そこで天皇の領地で北白川に瓜生山という標高300mほどの山がある。そこには谷も池もあり他の先住動物もいないという。その瓜生山を豆吉さんら一族200匹に貸し与えるという桓武天皇の書状がここにある」
「はい、そのお話しをありがたくお受けします」

こうして豆吉一族は瓜生山に引っ越しをした、その後ここは狸谷と命名されて狸谷不動院が建立されている。桓武天皇はその賽の河原に高さ3mはあるという石の子安地蔵を祀り、小さな子供とその母親の供養をしている。その賽も現代は「西院、さい、さいいん」と地名が残り、この子安地蔵も西院交番所の東の「高山寺」にある。ちなみに狸が棲んでいた春日の森は「春日神社」となっている、そしてその前の道路は「佐井通り・さい」となっている。
賽の河原、子安地蔵、

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

屁理屈コラム…特売の卵98円…LLサイズ争奪戦

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 3日(日)07時27分51秒
  屁理屈コラム…特売の卵98円…LLサイズ争奪戦

★…特売の卵98円…LLサイズ争奪戦に勝利

あるスーパーでは週に1~2回ほど卵98円の特売がある。数量こそ1500パックと多いが、これのサイズが朝一番はLLサイズでそれから順番に小さくL、M、MS、Sとなっている。仮にSでも98円なら安いが同じならLLをゲットしたいのがこれまた人情になる。

ちなみに卵のサイズは、
LL…70g以上
L …64g以上
M …58g以上
MS…52g以上
S …46g以上

これがそれぞれ10個パックだから、LLは700g以上、Sなら460g以上でこの差は240g以上にもなる。この240gというのはMなら4個分になり、実質4個儲かることになる。このLLサイズの卵は私の勘では約100個ほどしかない、次のLも100個ほど、したがって超モーニングサービスの卵は200個ほどと理解しているが、これは卵の生産にもよると思う。

こんなケチケチしたブログを書いてはいるがこの日本でも卵一つ買えない時代もあった。「巨人、大鵬、たまご焼き」といわれるように卵は日本人にはかかせないもの。しかも、これらの鶏の餌はすべて輸入だという。ちなみになぜ卵のサイズがバラバラだという理由は、これは若い鶏は卵を産む産道?が小さいからSサイズになるが、それが回数を重ねると穴が緩々、ガバガバになりLやLL、それにそれ以上の卵を産むそうだ…LLサイズか~なんとなしに考えさせられる…本日のコラム

★…画像はそのLLの卵

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安物買いの銭失い、本マグロ 中トロ・車折神社は狐の芸能学校だった。1200年前の人口の水路は今でもある。

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 1日(金)16時40分13秒
  屁理屈コラム…安物買いの銭失い、本マグロ 中トロ・車折神社は狐の芸能学校だった。1200年前の人口の水路は今でもある

★…安物買いの銭失い、本マグロ 中トロ

あるスーパーの広告に「本マグロの中トロ、三種盛 398円」という広告があった。本マグロなんていうのは前に食べたことがあるか?、ないかも覚えていない。この機会をのがしたらもう一生涯「本マグロの中トロ」は食べられないと思い買いに走った。

そしてあったが、それは小さな切り身のお寿司で本マグロは3貫、それにイカ3貫とハマチ3貫の盛り合わせになっている。その本マグロを使ったもう一つの三種盛は切り身も大きいが698円と高いがそんな贅沢はできない。

ふとそれらの寿司の横を見るとそこには「本マグロの中トロ、切り落とし」298円というのがあった。それは本日の目玉寿司の本マグロと同じ色艶で間違いなく量もかなり多い。これなら私の一生涯の本マグロを一気に食べられるとこれを買った。

これは短冊のままで白い筋もあるのでこれを丁寧に取り除いてお造りのように切ってお皿に並べるとそれは豪華な本マグロの中トロの暴れ食いの饗宴のごとく食べる前から唾がでる。まず一切れ目はワサビをたっぷりつけて一口で…ふむ…甘い脂が口の中でダンスしているようだ。二切目も同じ、そして三切れ目には口の中が脂だらけで焼酎のお茶割で綺麗にした。

まだお皿の中には贅沢にも本マグロの中トロが山ほどある。そして四切れ目にはなんとなく脂が鼻についてきた。五切れ目はもう箸がでないほど…ギトギトした脂が眼に付いた。わさび醤油もギトギトでお箸もそうでここでもう降参をした。結局のところ食べたのは四切れだった。

これではもったいないと残りの本マグロの中トロを麺つゆで炊いてみた。しかし、これも脂の匂いが鼻について一切れも食べないでほかしてしまった。今思えば、なぜお寿司の盛り合わせには本マグロが3貫しか入っていないのかがよくわかる。それはこの本マグロの中トロは3貫までしか美味しく食べられないことだと気が付いた。そしてアッサリしたイカ、ハマチとのコンビこそが三種盛の醍醐味だということだ。さらにマグロの脂はすし飯と中和される。結局のところ「安物買いの銭失い」になってしまった。

★…画像はその本マグロの中トロ、切り落とし298円

★…二代目稲荷神社宮司 荷田生成 車折神社は狐の芸能学校だった。1200年前の人口の水路は今でもある。

伊奈利神社の宮司、秦伊呂具は785年3月1日に95歳で亡くなっていた。後継ぎは長男の生成(いなり)に伊呂具の生前から決まっていたが、長岡京の桓武天皇はこの伊奈利神社に従二位の位を与え、そして荷田の姓を与えられた。さらに社名を稲荷神社によせと命令していた。

従二位とは最高位の正一位、従一位、正二位の次の位になる。これで「従二位 稲荷神社」二代目宮司の荷田生成として稲荷神社創設75年目のスタートになった。生成は秦の血筋で嵯峨嵐山で土木工事を請け負っている秦酒公の技師見習いとして15歳から35歳までの20年間修業させられていた。その間に土木工事の他には造園技術も覚えて奈良から長岡京への引っ越しの際には貴族の屋敷、それに寺院の庭の造園もしてきた。そして伊奈利神社に帰ってきてからは伊奈利山の参道の整備に力を入れていた。

ある日、生成は桓武天皇から平安京造営の相談を受けている。天皇は、
「丹波の木材を嵐山まで筏で運ぶが、その後の陸路の道が悪くてどうも10年では都ができない…」生成は、
「それなら嵐山から都の中心部まで水路を掘って原木の筏を流せばいい。それに木材を水揚げした後はその水を中心地から西南に元の桂川まで戻せば壬生、西七条、唐橋、吉祥院の田畑のかんがい用水にもなります」
「ほお~さすがに伊呂具の息子じゃ!考えることが大きい!」
「はぃ、京都盆地は北と南の標高差が約55メーターもありますから、これを上手く使えばかんがい用水、それに大雨などの治水、上水に下水と人間がこの水を上手くコントロールできます」
「そうか~ほなこの河川工事は生成に任すが、神社の宮司はどうする?」
「これは私の子供もいるし、それに神官と巫女の大学の卒業生も100名を超えました。もう、ほっといても神社の運営はできます」
稲荷神社は商売上手とはいわれているが、一方では大学教育に力を入れている。さらに稲作にはかかせない天文学も教えているが、これは何も人間だけでなく夜学として狐にも門戸を広げていた。

こうして生成は嵐山左岸から水路を引く工事をして三か月目、桂川から数百メーターのところで工事用の大八車の車輪が折れる事故が続発した、それに工事人夫が怪我をしたり、はたまた食中毒で倒れたりしていた。そこで生成はこれは狐の仕業と思い、工事現場に神棚を置いてそこに油揚げを10枚供えていた。

この10枚は夜の内に持っていかれてどの狐の集団かは判断ができないが、とりあえずこれを一か月続けたある夜に生成の夢の中に狐が現れて、
「生成さま、いつも美味しい油揚げをありがとうございます。私は全国の旅芸人の元締めをしている狐座の女狐で斎王女と申します。生成さまの水路の工事の真下に我々の命でもある芸能学校の能舞台があるのです。それに森全体が狐の寮になっているために全国に公演に出かけている狐の帰るところもありません。どうかもう少しだけ水路を南か北へ…」
「いゃ、あの水路は原木の丸太の筏で直線の川でないと流れない。もし流れが曲がっているとそこに原木が衝突して溜まり大渋滞を起こす。とはいっても我々が先住民の狐の生活を脅かすことはできない」
「でも…なにかいい方法は?」
「それなら水路の北側にそれなりの森と神社を造成するからそこに芸能学校と能舞台を引っ越ししていただけないか?その費用も私たちが負担いたします」

こうしてできたのが「車折神社」でもちろん今でも芸能上達の神社として有名になっている。この神社の前の道がその後の三条通でこの三条通り沿いに嵐山から市内中心部の千本三条まで一部暗渠になってはいるが今もあります。この水路は明治時代に山陰線ができて蒸気機関車で木材が運ばれるまで水路として利用されてきた、そしてこの木材の集積場にできたのが現JR二条駅になります。

ちなみに機関車が走ってからはこの水路は利用されなくなり嵐山から三条まで多くあった木材問屋は消えたがまだ○○木材という会社は三条通り沿いには点在している。そしてその広大な木材置き場の跡地にできたのが東映撮影所(東映映画村)、大映撮影所、松竹撮影所になります。1200年前の人口の水路が今も同じコースで流れているが、もう誰もこのことは知らない。

★…画像は嵐山の人工河川の水の取り入れ口、車折神社

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屁理屈コラム…安物買いの銭失い、本マグロ 中トロ・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 9月 1日(金)06時59分21秒
  屁理屈コラム…安物買いの銭失い、本マグロ 中トロ・

★…安物買いの銭失い、本マグロ 中トロ

あるスーパーの広告に「本マグロの中トロ、三種盛 398円」という広告があった。本マグロなんていうのは前に食べたことがあるか?、ないかも覚えていない。この機会をのがしたらもう一生涯「本マグロの中トロ」は食べられないと思い買いに走った。

そしてあったが、それは小さな切り身のお寿司で本マグロは3貫、それにイカ3貫とハマチ3貫の盛り合わせになっている。その本マグロを使ったもう一つの三種盛は切り身も大きいが698円と高いがそんな贅沢はできない。

ふとそれらの寿司の横を見るとそこには「本マグロの中トロ、切り落とし」298円というのがあった。それは本日の目玉寿司の本マグロと同じ色艶で間違いなく量もかなり多い。これなら私の一生涯の本マグロを一気に食べられるとこれを買った。

これは短冊のままで白い筋もあるのでこれを丁寧に取り除いてお造りのように切ってお皿に並べるとそれは豪華な本マグロの中トロの暴れ食いの饗宴のごとく食べる前から唾がでる。まず一切れ目はワサビをたっぷりつけて一口で…ふむ…甘い脂が口の中でダンスしているようだ。二切目も同じ、そして三切れ目には口の中が脂だらけで焼酎のお茶割で綺麗にした。

まだお皿の中には贅沢にも本マグロの中トロが山ほどある。そして四切れ目にはなんとなく脂が鼻についてきた。五切れ目はもう箸がでないほど…ギトギトした脂が眼に付いた。わさび醤油もギトギトでお箸もそうでここでもう降参をした。結局のところ食べたのは四切れだった。

これではもったいないと残りの本マグロの中トロを麺つゆで炊いてみた。しかし、これも脂の匂いが鼻について一切れも食べないでほかしてしまった。今思えば、なぜお寿司の盛り合わせには本マグロが3貫しか入っていないのかがよくわかる。それはこの本マグロの中トロは3貫までしか美味しく食べられないことだと気が付いた。そしてアッサリしたイカ、ハマチとのコンビこそが三種盛の醍醐味だということだ。結局のところ「安物買いの銭失い」になってしまった。

★…画像はその本マグロの中トロ、切り落とし298円


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