teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


京のいけず三昧・居酒屋の玄関の取っ手が汚い・「京のいけずに泣く女 朱美」 駆け込み寺「洋風居酒屋ポン吉」

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月27日(木)09時28分7秒
  理屈コラム…京のいけず三昧・居酒屋の玄関の取っ手が汚い・「京のいけずに泣く女 朱美」 駆け込み寺「洋風居酒屋ポン吉」…26話

★…京のいけずな話・居酒屋の玄関の取っ手が汚い

まだ開店して数か月の居酒屋のことだが、この店は和風の店構えで玄関の引き戸も白木風になっている。この玄関の引き戸の取っ手が手垢で汚くなっている。この店は勝手口がなく店長も板前もそして客もこの汚れた引き戸に手を触れて店に入ることになる。

京都のこういう飲食店では店の前の道路を開店前に掃除(門掃き)して、打ち水の一つもして玄関を綺麗にしてからお客さまを迎えるものだ。もちろん店の顔である店そのものを小奇麗にしてこそ数百万円の改装費をかけた意味があると私は思う。もしこれらの事をしていれば玄関の汚れた戸っ手に気が付き綺麗にするものだ。

京都の人間は「いけず」というが、正にこのコラムこそがそれでこういうことを見つけるとすぐに町内で話題にするという癖がある。その私も町内でサザエさんといわれている、「朱美いけず」さんにこのことを報告すると、
「そう、私もあの取っ手の汚れをみて引いてしまった。あの玄関は白木風だから磨けばいい風合いがでるのにと思っていたわ…」

この店に限らず新規開店の飲食店やコンビニなんかも店の前がかなり汚くても気が付かない。それを指導する店長もいわばよそ者だから生ごみの出し方一つでも町内に大迷惑をかけているが、京都の人間はトラブルが嫌いで直接は注意しない。しかし、陰口でこんな話が広まるがこれを本来の「京のいけず」だと私は思っている。

その私もこの居酒屋の客でも同じ町内でもないのにおせっかいにも他人の店を「汚い」と批判しているが、こういうクセはなおらない。まま、もっといえば玄関が汚いということは…これから先の話が本当の「京のいけず」になるが、それは書けない。

★…画像は、汚い玄関の引き戸

★…「京のいけずに泣く女 朱美」 駆け込み寺「洋風居酒屋ポン吉」…26話

JR西大路駅前、近くには約50軒の飲食店がある。いわゆる都会の飲食ピルというのは一つで残りは民家を改造したテナントになる。したがってほぼすべての店は1階にあり店は道路に面している。この店の前の歩道の掃除は当然ながらその店の管轄であって常に綺麗にしとかなければならない。

京都の有名な日ごろの習慣に「門履き」(かどはき)というのがある。これは毎朝のように自分の家の前をホウキで掃くのだが両隣の境界線より少しだけ侵入してそこも履くという京都流エチケットがある。しかし、これをしなかったその家は「無粋」だとしてこの狭い町内からも村八分まではいかないがなにかと「いけず」をされる。

この「洋風居酒屋ポン吉」も1階にありここのマスターの音吉が店に出勤して最初にする仕事はこの「門掃き」になる。履いた後は水を撒いて玄関には盛塩をするのが日課になる。この行為とは道路の表でするから町内の人々とも会って立ち話などのコミュニケーションもできるし、通行人も観ることになる。これこそこの店の人格の宣伝になって京都人が安心して行ける店の証拠となっている。

このポン吉の並びの空き店舗にまた新規の店ができた。店の工事の規模からして改装費は確実に一千万円は超えているとこの地域の人々の噂になっていた。店のオープンには派手に祝いの「蘭」が飾られ、有名人の花輪も並べられていた。店の名前は「和風居酒屋 朱美」でママは30歳前後の超ベッピンだということだが、この超ビックな噂の割にはポン吉の客はまだ誰も行ってはいないという。

それから半年ほど経ったある日、その「和風居酒屋 朱美」という店のママが挨拶に来たというのでマスターの音吉は店に行った。そこにはやはり噂の超ベッピンのママがいた。朱美は、
「ご挨拶が遅くなってすいませんでした」
「いゃいゃ、こちらこそ、それで店はうまくいっていますか?」
「それが~開店当初は前の店のお客様が来てくれましたが、それも三か月ほどで…」
「そうですか~この京都は商売が難しいのです。で、どこの出身ですか?」
「はい。宮崎県の都城ですが、色々あってそれで木屋町のビルの4階のビルでスナックを経営していましたが、私も35歳になって料理をウリにした居酒屋をしょうと決心したのです」
「そうですかビルの4階だと「門掃き」は知らなかったのですネ」
「えっ?その門掃きとはなんです?」
「それはまたおいおい教えます。それと朱美さんはここの町内会費の月にすれば500円ですがこれを払っていますか?」
「いえ、町内の方が集金にこられましたが、私は住まいのマンションで町内会費を払っていますからとお断りしました」
「そうですか~こういう店をしていますと客が近所で立ち小便をしたり大声を上げたり、煙草をポイ捨、それに夜中に出す業務用の生ゴミ袋を猫やカラスが荒らしてその後始末もこの町内の誰かがしてくれています。その迷惑料というか町内とのコミュニケーションとして町内会費は必要なんです」
「そうですか~それはいいことを教えていただきました。生ゴミのことまでまったく気がつきませんでした」

この町内費を払わないということを各町内の集まりである学区連合会の集まりで雑談として店の名前が発表されることがよくある。そうなると学区の体振や消防団、それに福祉、ママさんバレー、老人会などの各種団体の宴会やその二次会には絶対に使われない。またこういう話には必ず尾ひれがついてあの店のママは暴力団の愛人だという噂にもなりかねない怖さがある。つまり、町内会費を払わないというだけでこの村の仲間に入れてもらえなくなる。

たしかに全国チェンの居酒屋やコンビニはこの町内会費を払っている店は少ない。しかし、もしこの地域密着で商売をするならまずその店の町内、それに近所の飲食店に開店の挨拶ぐらいはするのが京都の一般常識になるが、こういうことを教えてくれないで陰口で仕返しするのが京都の「いけず」でもあった。それを聞いていた朱美は赤面しながら、
「そうでしたか~このポン吉さんとは同じ並びなのに…挨拶が半年も遅れてすいませんでした」
「いゃいゃ、こういう挨拶の中でこの地域の仕来りを覚えるのです」

それからママの朱美は開店前には必ずゆっくり時間をかけて「門掃き」をするようになっていた。元々、この地域ではNO1の美人だからそのママが店の前で掃除をしていればこの付近の会社帰りのサラリーマンが見つけないわけがない。それが客となり一人増え二人増えて店もやっと赤字ギリギリの経営までに盛り返していた。そんなころ音吉は朱美に店の休日に招待されていた。そして朱美は、
「音吉さん、おかげさまで新規のお客様が増えてきました。それでも赤字なので住んでいたマンションを引き払ってこの店の二階に引っ越しをしてきました」
「ほう、そうでしたか~それはよかった」
「はい、もし店がオープンして順調だったら私は天狗になっていたと思います。そしてこの京都の仕来りも知らない「無粋」な女のままだったかもと思うと今でも赤面します」
「それで町内会費は?」
「はい、これはこちらから頭を下げて町内会に入らしてもらいました。するとすぐに消防分団の懇親会の二次会に貸し切りで使ってもらいその中の何人かが常連客になってくれました」
「それはよかった…もし、なにか困ったことが合ったら言ってください」
「はい、実は~二階のベッドの位置が悪くて少し動かしてほしいのです」

この店は元々民家の二階建てだった。その分家賃も2倍していた。その二階に上がるとやはり綺麗好きなのか部屋はピンクで統一され、そのベッドにはほのかな色気が漂っていた。そして朱美が、
「音吉さん、私は何もマスターに恩返しができません。もしあの時に音吉さんに相談していなければ私は莫大な借金を抱えて路頭に迷っていました。恩返しというのもなんですけれども私を抱いてください」
というなり朱美は音吉に抱き付きキスを迫ってきた。音吉はこういう場面でこれを拒否するとその女性のプライドがズタズタに切り裂かれて取り返しがつかなくなるのは経験から知っていた。しかし、頭の中にはママの幸子が現れたが、音吉はここに招待をされたことはママは知らないというより、知らせていないので安心して朱美を優しく抱いていた。

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 
 

屁理屈コラム…京のいけずな話・居酒屋の玄関の取っ手が汚い・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月27日(木)06時43分14秒
  屁理屈コラム…京のいけずな話・居酒屋の玄関の取っ手が汚い・

★…京のいけずな話・居酒屋の玄関の取っ手が汚い

まだ開店して数か月の居酒屋のことだが、この店は和風の店構えで玄関の引き戸も白木風になっている。この玄関の引き戸の取っ手が手垢で汚くなっている。この店は勝手口がなく店長も板前もそして客もこの汚れた引き戸に手を触れて店に入ることになる。

京都のこういう飲食店では店の前の道路を開店前に掃除(門掃き)して、打ち水の一つもして玄関を綺麗にしてからお客さまを迎えるものだ。もちろん店の顔である店そのものを小奇麗にしてこそ数百万円の改装費をかけた意味があると私は思う。もしこれらの事をしていれば玄関の汚れた戸っ手に気が付き綺麗にするものだ。

京都の人間は「いけず」というが、正にこのコラムこそがそれでこういうことを見つけるとすぐに町内で話題にするという癖がある。その私も町内でサザエさんといわれている、「朱美いけず」さんにこのことを報告すると、
「そう、私もあの取っ手の汚れをみて引いてしまった。あの玄関は白木風だから磨けばいい風合いがでるのにと思っていたわ…」

この店に限らず新規開店の飲食店やコンビニなんかも店の前がかなり汚くても気が付かない。それを指導する店長もいわばよそ者だから生ごみの出し方一つでも町内に大迷惑をかけているが、京都の人間はトラブルが嫌いで直接は注意しない。しかし、陰口でこんな話が広まるがこれを本来の「京のいけず」だと私は思っている。

その私もこの居酒屋の客でも同じ町内でもないのにおせっかいにも他人の店を「汚い」と批判しているが、こういうクセはなおらない。まま、もっといえば玄関が汚いということは…これから先の話が本当の「京のいけず」になるが、それは書けない。

★…画像は、汚い玄関の引き戸




http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

男の不味くて安い料理・空海と伏見稲荷大社・空海は稲荷大学で2年間自然科学を学んでいた。神泉苑の雨乞いでスーパースターにな

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月26日(水)05時36分28秒
  屁理屈コラム…男の不味くて安い料理・空海と伏見稲荷大社・空海は稲荷大学で2年間自然科学を学んでいた。神泉苑の雨乞いでスーパースターになった空海

★…男の不味くて安い料理、万願寺とうがらし・油いため、たいたん

万願寺とうがらしを300円分買ってきた。その半分をフライパンで油炒めをして麺つゆをかけて食べたらこれがまた旨かった。うっかりこの写真を撮るのを忘れた。

ほんで残りの半分をこれは鍋でたいた。本来なら「ちりめんじゃこ」と一緒に煮るのだが、そんな贅沢は年金生活者にはできない。そこで味付けは同じく麺つゆでした。最近、調味料はこの麺つゆのみになってしまった。これは味醂も料理酒も本だしもいらないから便利になる。

この麺つゆもピンキリで安いのは1リッターで148円~980円のもあるが、私はイオンのPBの198円が口に合う。この麺つゆは焼き魚、冷奴、サラタ、卵かけごはん、天ぷらにもけっこう合うから便利になる。有名な京都の「創味のつゆ」も死ぬまでには一度は試してみたい。

年取るとなぜか?口が甘口になるような気がする。それが少し甘い麺つゆが好きになった理由かもわからない。この万願寺とうがらしのたいたんも美味かったが、やはり万願寺とうがらしは油と相性がいいと思う。ちなみにこの万願寺とうがらしは京野菜で京都府の丹後の万願寺というお寺の近くで栽培されたからだという。

★…おやつも甘口になってしまった。やまざきのぜんざい

やまざきといえばパンになるが、ここの和菓子もかなり美味しい。みたらし団子も有名だが、このぜんざい系も安くて旨い。この「ぜんざい」は価格の割にはお豆ちゃんが多い、他の安い「みつ豆」「トコロテン」「葛きり」などにはこのやまざきのぜんざいを入れて伊奈利オリジナル「あんみつ」にしています。

このぜんざいの価格は98円ぐらいだが、安い店は常時88円、さらに10%引きの日はこれが79円となるから3個も買った。

★…空海と伏見稲荷大社・空海は稲荷大学で2年間自然科学を学んでいた。神泉苑の雨乞いでスーパースターになった空海

平安京遷都まであと数年となったころ長岡京の桓武天皇の皇子の伊予親王が一人の若者を連れて稲荷神社に参拝にきていた。そして15歳のその青年を稲荷神社で修行させてほしいといっている。その青年は空海といい2年後には比叡山の延暦寺に修行に入るというが、その前に稲荷神社で神道の勉強もしたいという。当時は仏教も神道もそんなに垣根はなく宗教という枠の中のことでそんなに珍しいことでもなかった。

稲荷神社二代目の宮司荷田生成(いなり)はこれを快く歓迎して稲荷大学の入学を許している。当時はこの15歳という年から親元を離れて修行するのが当たり前だった。生成も15歳から20年間も土木と造園の修行をしている。この生成の男子の子供二人も親元を離れて長男は宮大工、次男は菅原家で貴族の勉強をしていた。これは初代の伊呂具の教えで「100年先の子孫の繁栄を願うならなにもしなくてもいい、ただ、1000年後の子孫の繁栄を願うなら家業以外の技術や思想を勉強しなくてはならない」という教えからだった。

昨今、日本を代表する会社でそろそろ創業100年を迎える企業の業績が悪くて社会問題化しているが、それは伊呂具がいう「家業以外の技術や思想」を取り入れなかったのが原因ともいえる。これは人間にもいえることで仕事一筋でやってきたが退職すれば何もできない人でやがて痴呆症になるのが関の山だ。つまり、1000年先のために今何をするかになる。

稲荷大学に入学した空海は稲荷山の四辻にある教室から毎日雲の動きを勉強していた。ここからは南は奈良の山、西南には大阪湾、そして西には六甲山、さらに北西には愛宕山と風と雲が京都盆地に入ってくるのがよくわかる。奈良方面からくる雲は枚方辺りの山で遮られてここで雨になる場合が多い。四国からの雲は六甲山と天王山から西山連峰、丹波からの雲は愛宕山とそれぞれ特色があった。しかし、この稲荷山は標高300mほどでたとえこれらを参考にして雨や嵐の予報をしても12時間後程度のことでは空海は満足していなかった。

そこで空海は京都で一番高い愛宕山に稲荷大学の自然科学部の開設を生成に進言していた。生成はその話を桓武天皇にいうと天皇は「この愛宕山にある愛宕権現白雲寺は征夷大将軍の坂上田村麻呂が勝軍地蔵を奉納した寺で坂上田村麻呂の許可がいる」というので空海は田村麻呂に会いにいった。この坂上田村麻呂こそがその昔に狐に助けられて新宮稲荷神社を建立した人物だった。

これが縁で愛宕山に稲荷大学愛宕山自然科学部を設立していた。ここからは瀬戸内海や四国の上空と思われる雲の動きがよくわかる。それに丹波、丹後は地面もわかる。つまり、台風、大風の雲の動きを記録してその動きの癖と確率で京都盆地に雨や嵐が来る予報も2日~4日ほど前からわかるようになっていた。この自然科学部には稲荷山の学生狐10匹が選ばれて毎日雲と風の動きを記録していた。

この狐らは空海にもし沢の水が枯れていた場合にどこに湧き出る水の水脈があるかの見つけ出し方も教えていた。これは狐が沢蟹が大好物で沢の水が枯れたら沢蟹が石の下に潜んでいる場所を見つければそこが水が湧き出る水脈になるというものだ、空海は試しに杖で沢蟹が隠れていた場所を突くとそこから水が噴き出してきた。空海はこの狐の話をヒントに地質学も学び水脈と温泉源の因果関係の理論を確立していた。

空海は2年で稲荷大学を卒業して神官の免許を得ていた。そして17歳の春に比叡山延暦寺の最澄の弟子になった。その後、修行のために全国を旅するがそのあちこちで水脈や温泉を発見して「空海が見つけた湧き水、温泉」というのは1000か所は下らない。さらに空海は官寺の東寺の住職を任命されていた。そのころ都は雨が降らない飢餓寸前になっていた。そして東寺の空海、西寺の守敏との雨乞い合戦になったが、守敏はただただ金堂で護摩木を焚いて祈祷するのみで2日目には熱中症で倒れてしまった。

空海は愛宕山の狐が瀬戸内海の雨雲を見つけてそれが京都盆地に来る時間を計算してそれを愛宕山からのろしで知らせて来るのを待っていた。そして空海は神泉苑の龍神を祀るお堂で一応西寺の守敏と同じように護摩木を焚いて祈祷の振りをして一心に拝んだ…もちろんこの雨乞いのパフオーマンスは雨を待つ農民どころか皇族、貴族までに宣伝されており、観衆は1000名を超えていた。やがて雲一つなかった空が真っ黒になり竜が暴れるごときの雨が降ってきた。この瞬間に空海は全国ネットのスーパースターになった。
?

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

屁理屈コラム…男の不味くて安い料理・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月25日(火)06時57分36秒
  屁理屈コラム…男の不味くて安い料理・

★…男の不味くて安い料理、万願寺とうがらし・油いため、たいたん

万願寺とうがらしを300円分買ってきた。その半分をフライパンで油炒めをして麺つゆをかけて食べたらこれがまた旨かった。うっかりこの写真を撮るのを忘れた。

ほんで残りの半分をこれは鍋でたいた。本来なら「ちりめんじゃこ」と一緒に煮るのだが、そんな贅沢は年金生活者にはできない。そこで味付けは同じく麺つゆでした。最近、調味料はこの麺つゆのみになってしまった。これは味醂も料理酒も本だしもいらないから便利になる。

この麺つゆもピンキリで安いのは1リッターで148円~980円のもあるが、私はイオンのPBの198円が口に合う。この麺つゆは焼き魚、冷奴、サラタ、卵かけごはん、天ぷらにもけっこう合うから便利になる。有名な京都の「創味のつゆ」も死ぬまでには一度は試してみたい。

年取るとなぜか?口が甘口になるような気がする。それが少し甘い麺つゆが好きになった理由かもわからない。この万願寺とうがらしのたいたんも美味かったが、やはり万願寺とうがらしは油と相性がいいと思う。ちなみにこの万願寺とうがらしは京野菜で京都府の丹後の万願寺というお寺の近くで栽培されたからだという。

★…おやつも甘口になってしまった。やまざきのぜんざい

やまざきといえばパンになるが、ここの和菓子もかなり美味しい。みたらし団子も有名だが、このぜんざい系も安くて旨い。この「ぜんざい」は価格の割にはお豆ちゃんが多い、他の安い「みつ豆」「トコロテン」「葛きり」などにはこのやまざきのぜんざいを入れて伊奈利オリジナル「あんみつ」にしています。

このぜんざいの価格は98円ぐらいだが、安い店は常時88円、さらに10%引きの日はこれが79円となるから3個も買った。




http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

屁理屈コラム…半額セールを無視できない悪い性格・「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」駆け込み寺「洋風居酒屋ポン吉」27

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月23日(日)15時45分30秒
  屁理屈コラム…半額セールを無視できない悪い性格・「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」駆け込み寺「洋風居酒屋ポン吉」27話

★…半額セールを無視できない悪い性格

スーパーでの今夜の買い出しも終わってふと専門店の魚屋さんを見ると、いつもの若くて綺麗な店員がお寿司に半額シールを貼っていた。この寿司は8貫入りでタイムセールとして500円(税抜き)で売られていたがそれが半額の250円となっていた。

以前この綺麗な店員を発見した瞬間に創作意欲がふつふつと沸いて「働く女性たち…駆け込み居酒屋ポン吉」に仮名の鮎子さんとして出演してもらったことがある。もちろんそんなことを本人には告げてはいないが、もしこの店でこの鮎子さんに私がビビッとこなかったらこの小説は生まれていなかった。もちろん鮎子さんは私が小説家だということは知らないが、これはなんていうか「以心伝心」で声を掛けなくても意思は伝わっているとこちらが勝手に思っている。

そういう理由でこの半額のお寿司を一つ鮎子さんに注文するとその鮎子さんは10個ほどあった寿司パックを吟味してくれてその一つを選んでくれた。その間に言葉なんてものはないが、温かい愛に2人は包まれていた…というふうに感じたのは私だけかもわからない。最後にお釣りを受け取って「ありがとう」でこのドラマは終わるが、このお寿司のなんて美味しかったこと、美味しかったことたらありゃしない。なんせ半額の上若い女性のエキスを吸い込んだのですから…ホホホ

★…画像はそのお寿司、この鮎子さんが出演した小説

★…「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」駆け込み寺「洋風居酒屋ポン吉」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

JR西大路駅近くの「洋風居酒屋ポン吉」のマスターの音吉はたまにしか店にでてこないが、店で使う食材はママの幸子の指示で買い出しに毎日いっていた。この指示はネットの掲示板に書かれている、たとえば「蛸のお造り」「かつをのたたき」「ブリのお造り」「イカのお造り」の短冊をそれぞれ5人前ぐらいなどと書かれている。

この掲示板は客にも解放されているのでこの食べたいお造りがあれば予約ができるというシステムで、例えば仕事が遅くなり午後10時半しか店にこれない客は目当ての生ものを予約できるし、また本日のメニューの情報にもなる。この居酒屋にとってはこの生ものを余らすというロスが最大のネックになるからだ。それに完全に売れればこのお造りなど生ものも1人前500円程度の安さで売っても儲かることになる。

音吉は魚類の買い物は近くのスーパーの鮮魚専門店「魚嘉」で買っている。いつも20人前程度のお造りを買っているので店のレジの女の子とも仲良くなる。ある日、その鮮魚店の店員が、
「いつも買っていただいてありがとうございます。このお造りなどはどこのお店で使っているのですか?」
「あぁ~これは駅近くの「洋風居酒屋ポン吉」という居酒屋でお客様におだししています。店のブログがありますので一度見てくたさい」

それから一週間ほどしてこのブログの付属掲示板に、
「魚屋の店長の妻で「真澄」と申します。ブログ等を拝見いたしましたが、一度姉のことで相談したいことがあります」と書かれてあったので音吉はそれの日時を掲示板に書いていた。そして真澄が店に来た。

この真澄は28歳でこの鮮魚店の経営者の長男の嫁でこの長男は京都の直営5店の総括店長をしているという。真澄は姫路の出身でこの姫路の鮮魚店で夫と知り合い結婚をしていた。この真澄の二つ上の「鮎子」がいるが、この鮎子はかなりの不良で風俗店に勤めていたが、同じ姫路のホストに貢いで借金まみれになっていた。しかし、この鮎子もこれらを反省して新天地にこの京都で働きたいということだった。真澄は、
「この姉が風俗で働いていたことや借金があったことなどを夫には絶対に相談はできないのです…」
「そら~あの鮮魚店「魚嘉」は100年も続いている関西でも50店舗を展開する有名な老舗になる」
「はい、借金は私の両親と私のへそくりでなんとかしましたが、姉が風俗店で働いていたことがわかると…それにもう両親も私もお金がありません」
「しかし、一度風俗のボロ儲けを経験したら時給800円や900円では働けずまた風俗に戻るものです」
「それが私も心配でもし京都でなにかの摘発で姉が逮捕されたら名前が「鮎子」というのですぐに夫やその家族にバレます」
「それで私の経営するマンションと店で監視してほしいというの?真澄さん」
「はい…マスターなかなか察しがいいですね~本当にたのもしいお方です」
「おぃおぃ、こんな老人をおだてて…」
「お礼といってもなんですけれど…音吉さんが「タラバガニ」が大好きだとブログに書いてありましたから、根室で獲れた最高級のタラバガニをお持ちしました」

こうしてタラバで買収された音吉は家具と電化製品、それに台所用品がすべて揃っている103号室に鮎子を迎えていた。当面は居酒屋で働くという約束で家賃は社宅として免除していた。その鮎子は30歳だが、これより5歳は若く見える化粧なのかイケイケネーチャンの雰囲気だった。店のママの幸子と気が合うのか?それともフルタイムで働くのでわずか半月で「チィママ」と呼ばれる人気ものになっていた。それでも前科者?として音吉とママは鮎子を1人にさせずに監視していた。

ある日、店の開店前のひと時に、鮎子は音吉とママに、
「なんとなく私を監視しているようだけど、マスターもママも安心して私はもう風俗に勤めたりホスト遊びは絶対にしませんのことよ~ホホホ」
ママの幸子は、
「いぇ、監視しているつもりはないけど…やっぱりマスターも私も心配なのよね~」
「私はママの接待や料理、それに着物の着付け、お品書きのお習字などを覚えて2年後には祇園の一等地に「割烹 魚嘉祇園店」のママになることがもう決まっています」
「えっ~魚嘉って妹さんの店の支店?」
「はい、妹の旦那の高広さんとの約束なの」

音吉はそんなことは初耳なので鮎子に聞いていた、
「なんで?妹さんの夫の高広さんとそんな約束をしたの?」
「うん~これは絶対に妹には内緒だけど、実は姫路の私の勤めていた風俗店に偶然だけど高広さんが遊びにきたの、それで二人ともビックリ仰天したけれどもお互い内緒にしておこうとなったの。それで店で禁止されているサービスなどをして十数回も指名で来てくれたの」

それから高広は口封じのために鮎子がまじめになって料理の一つでも覚えてくれれば真澄のお姉さんとして店の一軒でも出すと約束をしてれたという。それで妹に京都に住みたいといったらこのポン吉さんを紹介してくれて私は今一生懸命にママから水商売のイロハを習って一流の女将になるという。幸子は、
「それで、今は高広さんとは?」
「ううん、それっきり何の関係もないわ~だって、その時は風俗嬢だったけど今は妹の旦那じゃないの~ホホホ」
「そうよね~女は賢くそしてしたたかに生きなければならないのよね~」
と、幸子と鮎子は手を握り合ってこの話のすべてを共感していた。その時、その噂の真澄とその旦那の高広の二人が店に現れた。その高広は、音吉に、
「真澄の姉がここで大変お世話になっていることを聞いてご挨拶にきました。いずれこの鮎子を私の方で引き取りますからそれまでなにかとご指導をよろしくお願いいたします」

それからこの5人で仲良く乾杯をしていたが、幸子がポツリと、
「世の中捨てる神あり拾う神ありというけれど…なんとなしにうまくいくのよね~」
というと、5人全員がそれぞれ違う意味で納得をしていた。

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

屁理屈コラム…半額セールを無視できない悪い性格・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月23日(日)08時30分0秒
  屁理屈コラム…半額セールを無視できない悪い性格・

★…半額セールを無視できない悪い性格

スーパーでの今夜の買い出しも終わってふと専門店の魚屋さんを見ると、いつもの若くて綺麗な店員がお寿司に半額シールを貼っていた。この寿司は8貫入りでタイムセールとして500円(税抜き)で売られていたがそれが半額の250円となっていた。

以前この綺麗な店員を発見した瞬間に創作意欲がふつふつと沸いて「働く女性たち…駆け込み居酒屋ポン吉」に仮名の鮎子さんとして出演してもらったことがある。もちろんそんなことを本人には告げてはいないが、もしこの店でこの鮎子さんに私がビビッとこなかったらこの小説は生まれていなかった。もちろん鮎子さんは私が小説家だということは知らないが、これはなんていうか「以心伝心」で声を掛けなくても意思は伝わっているとこちらが勝手に思っている。

そういう理由でこの半額のお寿司を一つ鮎子さんに注文するとその鮎子さんは10個ほどあった寿司パックを吟味してくれてその一つを選んでくれた。その間に言葉なんてものはないが、温かい愛に2人は包まれていた…というふうに感じたのは私だけかもわからない。最後にお釣りを受け取って「ありがとう」でこのドラマは終わるが、このお寿司のなんて美味しかったこと、美味しかったことたらありゃしない。なんせ半額の上若い女性のエキスを吸い込んだのですから…ホホホ

★…画像はそのお寿司、この鮎子さんが出演した小説

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

屁理屈コラム…半額セールを無視できない悪い性格・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月23日(日)06時58分38秒
  屁理屈コラム…半額セールを無視できない悪い性格・

★…半額セールを無視できない悪い性格

スーパーでの今夜の買い出しも終わってふと専門店の魚屋さんを見ると、いつもの若くて綺麗な店員がお寿司に半額シールを貼っていた。この寿司は8貫入りでタイムセールとして500円(税抜き)で売られていたがそれが半額の250円となっていた。

以前この綺麗な店員を発見した瞬間に創作意欲がふつふつと沸いて「働く女性たち…駆け込み居酒屋ポン吉」に仮名の鮎子さんとして出演してもらったことがある。もちろんそんなことを本人には告げてはいないが、なんとなく小説の中で愛し合った仲だから気になる。しかし、これはなんていうか「以心伝心」で声を掛けなくても意思は伝わっているとこちらが勝手に思っている。

そういう理由でこの半額のお寿司を一つ鮎子さんに注文するとその鮎子さんは10個ほどあった寿司パックを吟味してくれてその一つを選んでくれた。その間に言葉なんてものはないが、温かい愛に2人は包まれていた…というふうに感じたのは私だけかもわからない。最後にお釣りを受け取って「ありがとう」でこのドラマは終わるが、このお寿司のなんて美味しかったこと、美味しかったことたらありゃしない。なんせ半額の上若い女性のエキスを吸い込んだのですから…ホホホ

★…画像はそのお寿司、この鮎子さんが出演した小説

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

寒天とトコロテンの違い・大阪王将の餃子・平安時代のお菓子とは唐菓子で果物、木の実の乾燥した物…日本初の本格的お菓子は「か

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月21日(金)09時32分54秒
  屁理屈コラム…寒天とトコロテンの違い・大阪王将の餃子・平安時代のお菓子とは唐菓子で果物、木の実の乾燥した物…日本初の本格的お菓子は「かりん糖」

★…みつ豆、あんみつ、寒天とトコロテンの違いは?

私の子供の頃の夏のお菓子といえば「トコロテン」でした。これは天草を煮たものを型に入れたものをトコロテンといい、これを寒空で凍らして乾燥させたものが「寒天」というらしい。

しかし、私の頭の中にはこのトコロテンと寒天の違いがわからない。祖母がおやつとして作ってくれてのは通称「トコロテン」で糸コンニャクのようなものでした。その作り方は乾物屋さんで棒状の乾燥したもの(寒天)を買ってきてそれを煮て冷して固めてそれを箱型のトコロテン製造機で上から押せば下からでてくるのがトコロテンだと思っていた。(ここでも寒天とトコロテンの区別はつかない)

そして小学生時代になるとハイカラな「みつ豆」という缶詰が大流行していた。これは寒天をサイコロ状に切って甘い蜜(シロップ)と赤エンドウ豆が入っていた。つまり、蜜と豆で「みつ豆」と理解していた。時代はさらにこれに細かく切ったフルーツが入るようになってこれを「フルーツみつ豆」といい当事では最高のデザートになっていた。さらに「あんこ」が入った「あんみつ」となる。

このところ何かを書こうと思えばその何かと昔の想い出がリンクするようになってしまった。だからつい昔話になる。私の持論は「昔の栄華や過去の輝かしい話なんてものは実にくだらいことで聞くに絶えない、老年よ過去を捨てて未来を語ろう」だったが、その未来を語る元気もなくなってきた。しかし、これではあかん!、老年よ大志を抱け、夢でも妄想でもいいから未来を語ろう!

★…大阪王将の餃子、味噌だれ

「大阪王将の餃子」…味噌だれ…餃子は普通の冷凍餃子と同じだが味噌タレが旨い!、普通のは特売でも178円であるが、これはなぜか198円から価格が下がらない。私の好きな餃子は他には味の素の餃子があるが、これにはタレがついていない。タレが味噌やな~ちなみに京都の王将とは違う店になる。

★…画像は、みつ豆と大阪王将の餃子

平安時代のお菓子とは唐菓子で果物、木の実の乾燥した物…日本初の本格的お菓子は「かりん糖」…79話

平安時代の貴族は甘いもの大好き人間の集団で全国から甘い果物と甘いお菓子の献上品をことのほか喜んでいた。この献上品とは年貢などではなく皇族や貴族に試食してもらい嵯峨天皇に「これは旨い」という一言をもらいそれを宣伝に使っていた。一番名誉なことは皇族に商品を納入する権利でもある「宮内省御用達」の看板を店頭に飾ることであった。

この宮内省御用達の商人は宮中に自由に出入りができて各皇族や貴族にその扱っている商品のセールスができるという利点があった。ただ宮中には自由に出入りはできるものの窓口は下級役人を通じて中級役人、そしてさらに有力貴族に口利きをしてもらわなくては天皇にまでは届かない。そうなるとここにワイロが発生するのは現在とまったく同じになる。(東京都の頭の黒いネズミ)

822年のこのころの唐菓子といえば果物になる。しかしこれは季節に関係があるから年中は食べられない、そこで干し柿、栗のような保存が利く甘いものを唐菓子と呼ぶようになった。稲荷神社三代目の宮司の伊蔵は神社の土産品にこれらを売ろうと思ってはいたが、これらは高価なもので一般庶民には手が出なかった。そこで伊蔵は稲荷大学の成長経済部の学生に安価で日持ちがする甘い日本初のお土産お菓子を研究してほしいと要請していた。

学生らはこの研究に没頭してやっとできたのか伊蔵に報告をしていた。
「伊蔵さま、米粉と小麦粉を半々使い、これを長さ10センチの丸い棒状に延ばして荏胡麻で揚げました。それに甘葛(ブドウ科のツル性植物)のツルを煮詰めたものをさらに水分を飛ばした甘い汁をからましたものですが…」
「ほう、これはいい匂いがしてなかなか美味だが、なにか問題があるのか?」
「はい、これはそのまま食べるのにはいいですが、なにせお土産ともなると信者の旅人が背中に背たろうて何日も歩かなければなりません。そうなると折れたり、形が崩れて商品価値がなくなってしまいます」
「そか、それならこの棒状の物からひねり、ねじりをかければ表面面積が多くなりその分固くなり表面にも甘味料がよくからむ」
「はい、そうですね~それならこの棒を3センチほどと短く切れば強度も増します」

こうしてできたお菓子を嵯峨天皇に献上していた。天皇は、
「ほう、これは匂いもいいが、カリカリして旨い、それに上品な甘さがいい」
「はい、それを稲荷神社のお土産にしたいのですが、ぜひ天皇にこのお菓子の名前を…」
「そか、それより先にお主に見せたいものがある」
「はいはい、またですか?…天皇」

天皇はなにやら声をかけると奥からこれまた若い姫が出てきて伊蔵に挨拶をしている。その姫は近江の呉服商の高島屋の孫娘で15歳の「果林」という。その高島屋が都に本店を置き、宮内庁御用達にしてほしいという陳情があり、そのワイロにこの果林を差し出したということは天皇からその経緯を聞かなくても伊蔵は宮中の噂で知っていた。当時の未成年というのは15歳以下の事で男も女も15歳からは立派な成人としていたから天皇は法律違反を犯してはいなかったことになる。

その果林がこのお菓子を食べて、
「いやん~これ美味しいどす。これ伊蔵とやら、これは何という名前の唐菓子じゃ~」
「いえ、姫さま、それは唐のものではなくて日本最初のお菓子になります。それを天皇に命名してほしくて今夜はきたのです」
「そか、それならわらわが命名する。そう、それなら我が名を未来に残すために「かりん糖」とする」

天皇は786年生まれの36歳でもう愛妾は伊蔵の知っているだけで10人を軽く超えている。それに子供も皇后との間に6名、正式な愛妾の間には約20名、さらに一夜だけの恋だが、嵯峨天皇の子供だと認定されているのは約20名とされていた。そして今夜紹介された果林…なにはともあれ天皇が美味いといい、果林が命名した「かりん糖」は稲荷名物になり飛ぶように売れたというお話しでした。


http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

屁理屈コラム…寒天とトコロテンの違い・大阪王将の餃子・

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月21日(金)06時56分44秒
  屁理屈コラム…寒天とトコロテンの違い・大阪王将の餃子・

★…みつ豆、あんみつ、寒天とトコロテンの違いは?

私の子供の頃の夏のお菓子といえば「トコロテン」でした。これは天草を煮たものを型に入れたものをトコロテンといい、これを寒空で凍らして乾燥させたものが「寒天」というらしい。

しかし、私の頭の中にはこのトコロテンと寒天の違いがわからない。祖母がおやつとして作ってくれてのは通称「トコロテン」で糸コンニャクのようなものでした。その作り方は乾物屋さんで棒状の乾燥したもの(寒天)を買ってきてそれを煮て冷して固めてそれを箱型のトコロテン製造機で上から押せば下からでてくるのがトコロテンだと思っていた。(ここでも寒天とトコロテンの区別はつかない)

そして小学生時代になるとハイカラな「みつ豆」という缶詰が大流行していた。これは寒天をサイコロ状に切って甘い蜜(シロップ)と赤エンドウ豆が入っていた。つまり、蜜と豆で「みつ豆」と理解していた。時代はさらにこれに細かく切ったフルーツが入るようになってこれを「フルーツみつ豆」といい当事では最高のデザートになっていた。さらに「あんこ」が入った「あんみつ」となる。

このところ何かを書こうと思えばその何かと昔の想い出がリンクするようになってしまった。だからつい昔話になる。私の持論は「昔の栄華や過去の輝かしい話なんてものは実にくだらいことで聞くに絶えない、老年よ過去を捨てて未来を語ろう」だったが、その未来を語る元気もなくなってきた。しかし、これではあかん!、老年よ大志を抱け、夢でも妄想でもいいから未来を語ろう!

★…大阪王将の餃子、味噌だれ

「大阪王将の餃子」…味噌だれ…餃子は普通の冷凍餃子と同じだが味噌タレが旨い!、普通のは特売でも178円であるが、これはなぜか198円から価格が下がらない。私の好きな餃子は他には味の素の餃子があるが、これにはタレがついていない。タレが味噌やな~ちなみに京都の王将とは違う店になる。

★…画像は、みつ豆と大阪王将の餃子

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

加齢黄斑変性症、23回目の注射・狐の面を被って稲荷神社の夜参り、男は女物の着物を着て日本最初の女装が誕生していた。日本初

 投稿者:オカマのイナコ  投稿日:2017年 7月19日(水)06時11分15秒
  屁理屈コラム…加齢黄斑変性症、23回目の注射・狐の面を被って稲荷神社の夜参り、男は女物の着物を着て日本最初の女装が誕生していた。日本初の女装コスプレ

★…加齢黄斑変性症、眼の玉に23回目の注射

昨日は某病院の眼科で眼の玉に注射をブチッ!と打ってきました。これは4年ほど前にこのブログを書いている時に画面が見づらくなるこどよくあり、これは目の疲れだと思って公園で遠くを見て目を休ませていました。ある時なんとなく右目だけで景色を見ると中心に白い膜がありました。

この瞬間にこれは一大事と近所の眼科に駆け込んだが、医師は「加齢黄斑変性症」だといいすぐに病院の紹介状を書いてくれました。病院の医師は診察すると同時に明日入院をするからその用意をして来いという。そしてすぐに2時間30分の手術を受けた。これが人生最初の入院と手術となった。

約一か月の入院生活をした後に通院で治療を受けたが、経過はそんなに良くなく眼の玉にアイリーアという注射を打つ治療になった。この第一回目の注射というのはこれは怖かった、なんせ目は強制的に開けられているから先生も看護師も注射の針の先まで見えているのです。それが目に近づき…ブチュ!ですから…それから23回目ですが、これは10回目辺りから余裕もやっとでてきました。ちなみに注射は麻酔が良く効いた日は無痛に近いがたまに「チクリ」とする程度で安心だが、精神的苦痛は計り知れない…くれぐれもパソコンやスマホで眼を酷使しないでください。

★…画像はアムスラーチャート、アイリーア注射のパンフ、関連コラムと合わせてお読みください。

★…狐の面を被って稲荷神社の夜参り、男は女物の着物を着て日本最初の女装が誕生していた。日本初の女装コスプレ 伏見稲荷大社の物語 55話

信仰とは奇妙なもので誰かが仕掛けなくても大流行するものもある。初代稲荷神社の宮司伊呂具のときは稲荷山の土を持って帰ると願いが叶うと大流行したこともあった。その後、それが日本初の玩具として土人形(土人形)が大量生産され稲荷神社名物のお土産として販売されているが、これが博多人形のルーツにもなっていた。

そして今度は夜に狐の面を被ってお参りすると願いが叶うということが大流行していた。女子はそのまま狐の面を被るが、なぜか男はその面を被り着物は女物を着なければ御利益はないと信じられていた。つまり、男は女装してお参りするということでこれが日本で最初の女装となった。

午後7時ごろになると静かだった境内も賑やかになり狐の面を売る夜店なども数軒でていたので、これがまた人を呼びさらに賑やかになってきた。神社は年中灯篭や行燈に火を入れてライトアップをしていたが、さらにかがり火などを追加して神秘の世界を演出していた。。神社直営のお茶屋も夜まで営業をつづけて若いカップルの夜のデートコースの人気ナンバー1にもなっている。

この奇妙な夜参りの原因は実は私たちにあると稲荷山の狐が宮司三代目の伊蔵に狐が報告をしていた。狐は、
「実は…私たちの若いまだ未熟な狐が人間に化ける練習を夜の境内でしていたのです。ところが顔が一番難しくて時には目が一つや三つ、たまに四つの顔になるのです。で、そんなものを人間の参拝者に見せたら腰を抜かしてしまうので練習中は紙粘土の狐のお面をつけていたのです」
「ほう、それはそうだ、稲荷神社に妖怪がでるという噂になれば大変なことになる」
「はい、それで境内にかなり多くの面をつけた狐に化けた人間がいたので人間の誰かがそれを見習って狐の面をつけて拝んだところ願いが叶ったという噂になりました」
「ほう、流行ってのそんなことから始まるのか?。しかし、男が女の着物を着て女装するのはなぜなのか?」
「はい、それはここの神さんは女の神さんでカップルが仲良く手をつないでお参りをすると、その神さんが妬み、嫉妬してこのカップルを別れさすという噂になったらしいのです。そこで神さんにやきもちを焼かれないために男が女の着物を着て女性同士だと見せていたのです」
「ほう、たしか千本鳥居でもカップルが同じ道を二人で歩くと別れるというジンクスがあるが、あれか?」
「はい、これを知っている人は左右に分かれている鳥居を別々に歩くと末永く幸せになると信じられています」

この流行は洛中、洛外にも知れ渡り、古着を扱う東市の市場では女性の着物が飛ぶように売れていた。しかも、普通の着物や浴衣だけではなく花嫁衣裳や巫女さんの衣装までも品切れ状態だった。それに、紙粘土の狐のお面も製造が間に合わず、つ、ついに男がそのまま女の化粧をするようにもなっていた。こうなれば稲荷参道フィバーでこれを見物する参拝者でこれまた夜の稲荷神社参拝は大いに賑わっていた。

これを宮中の噂で聞いた嵯峨天皇まで夜の稲荷神社参拝をしたいといいだした。宮司の伊蔵は「しかし、夜の外出は危険になります。それに警備にも金も人も入ります」
天皇は、
「おいおい、伊蔵…六条河原離宮から稲荷神社まではほんの1時間で行けるではないのか?」
「はい、しかし、これは妖怪のようなオカマも沢山いますから、決して見て楽しいものではありません」
「いゃいゃ、予はこの国の天皇で国民がどんな遊びを楽しんでいるかを視察するのも大事な仕事になる」」

この天皇は一度言い出したら聞かないので伊蔵は観念して、嵯峨天皇の稲荷神社への行幸の準備をしていた。10月22日の午後6時に離宮を出発した豪華絢爛な天皇を乗せた牛車は竹田街道を南下、勧進橋から稲荷神社参道に入り大和大路から表参道の巨大な鳥居をくぐると桜門まで300mの間には約300名の女装?それとも妖怪、オカマ?とも取れるコスプレ女装が大歓声と拍手で嵯峨天皇を迎えていた。

本殿にお参りした天皇はその後お茶屋で休息をしていた。このお茶屋は高級で今でいうなら祇園の高級クラブのようなものだ。そこには神楽舞台があり巫女さん10名が笛や太鼓、それに琴の演奏で神楽を踊っていた。天皇は酒を飲みながら、伊蔵に、
「ほう、伊蔵もこんな美人に囲まれていい思いをしているな~オホホ」
「天皇、天皇はどの巫女がお好みで?好きなのを選んでください」
「おほ、そうか~それなら前列左側の背の高い巫女が予の好みになる…」
「それは目が高い、あのものは禰宜の吉左といいます」
「ふむ、禰宜…吉左…これ伊蔵、あれも女装か?」
「はい、今夜はオールスペシャルバージョンになっています」
「そか、それなら帰りの牛車で予と吉左の二人だけで酒を飲むことにする」

こうして嵯峨天皇の稲荷神社への行幸は無事終わっていたが、なぜか?神社の神職で禰宜の吉左はよほど天皇に気に入られたのか六条河原離宮の近くの六条稲荷神社の宮司になっていた。この六条稲荷神社は後にここで生まれた文子という女性が菅原道真の乳母になったことから「文子天満宮」になっている。

★…画像は、重要文化財のお茶屋、本宮祭のポスター

http://p.booklog.jp/book/44141/read

 

レンタル掲示板
/118